輪切りにしたロールケーキの断面のように
つい先日、昔の自分のプロフィール写真を見て驚愕した。まずその写真をご覧頂きたい。
この写真は2007年か08年に撮ったセルフポートレイトである。つまりセルフタイマーで自らを写した写真であり、誰かが誰かのセンスで撮った写真ではなく、紛れもなく自らのセンスで撮った自画像だということだ。そのときの〈自分〉そのものだ。
そして先日、この写真を見た今の〈自分〉は、そのセンスを理解できず驚愕したわけだ。他人から見れば、この写真も別に何ら驚くこともないかもしれないが、自分のことだからそうはいかないのだ。
....なんで、このチャリが気にならなかったのだろうか?
....なんで、ヴァイオリンを持っているのだろうか?
....なんで、椅子の上にうんこ座りしているのか?
....そもそも、なんで、玄関なんだろうか?
疑問は尽きないが、落ち着いて考えると、これは何にでも言えることであろう。こういう写真に関わらず、音楽でも何でも同じである。今の〈自分〉に見えている世界やセンスや感覚は、今の〈自分〉でしかない。数年後には、それも同じように自分を驚愕させうるかもしれない。
信じられるのは常に今の〈自分〉でありつつ、信用できないのも今の〈自分〉に違いないのだ。自分という一つのロールケーキの、輪切りにした断面が「今」だ。そこにたまたまイチゴがあったからといって、イチゴのロールケーキとは限らないであろう。
なにが言いたいわけでもないが、そう思って「今」をやろうと思う。そう思った方が少し思い切ったことができそうだから。
...ちなみに今の〈自分〉ならば、とりあえずチャリはどけて撮るであろう。
2014.10.12
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