札幌国際芸術祭2017「CELL」について

(札幌国際芸術祭2017閉幕の数日前にTwitterで連投したものの、内容的にTwitterというメディアにそぐわないと判断し削除したため、改めてここに記す。)
2017.9.29 記
札幌国際芸術祭が終わる。ので、作品「CELL」もラストを迎える。ので、虫たちは死ぬ。というか殺す。殺さなければならない。思えば、芸術祭が始まるまでの約一年間に悩み続けていた全ては、このラストに向けられていて、今また急速に集束し、迫っている。わかっていたことである。
別にこれは作品の一部として生物を殺すということが含まれているのを強調したいわけじゃない。だってそんなことは僕の作品に関わらず、どこにだって含まれている。生きるということと死ぬということは必ずセットになっているわけで、つまり生きるために行う全ての行為はだいたい何かを殺す行為を含んでいるんだから。そんなことを今更言っても仕方がない。
あの場所に作品を設置すると決めて最初にした作業は草刈りである。どの草を生かしてどの草を殺すか、一本づつ選んで刈るなり抜くなりした。作品前の通路にはコケが生えている。きれいなコケ。コケというのは選ばれし者である。愛好家は世の中に沢山いる。人間のお眼鏡にかなう何かを持ち合わせている。雑草というのは雑な呼び方だ。本当は一つ一つに名前がある。いや、コケというのも雑な呼び方だった。あれにも名前がある。僕は知らない。ともかく作品前のコケがとても綺麗だったので、より綺麗に見えるように、コケの中の雑草を抜いたり土を整えたりした。作品とはまるで関係ない。が、あの作品を作る上で僕がやっていることは草刈りやコケの手入れと全く同じであった。
今も札幌芸術の森の作品内で生きている(2017/9/29時点)アメリカミズアブという虫は、本当はそこに居ちゃいけない生物である。生物多様性の観点(人間の観点)ではそこに居るべき生物ではない。外来種とはそういうものだ。が、もはやそれは蔓延しているし、我々に害がなければOKと判断される場合もある。NGと判断されるものもある。それは綺麗なコケの中に生えた雑草と同じである。コケに利用価値があればOKであり、雑草がそのコケを邪魔する存在であればNGだ。
我々の主食は米なので、米に付く虫は害虫である。もし我々の主食がどんぐりだったら、どんぐりに付く虫が害虫である。そのようにラインはひかれる。外来種・在来種の問題はこれと別の話のように聞こえるかもしれない。が、元を辿れば同じ話に行き着く。それは人間の都合である。それでいい。
僕にとってはアメリカミズアブが選ばれし者だった。ミミズの調査中にたまたま出会ったのだ。おかげでミミズの音とアメリカミズアブの音を聴き比べすることができた。断然、後者の方が音が良かった。だから選ばれた。選ばれたから札幌に居る。そこが札幌(北海道)だったから死ぬことになる。
10/1で芸術祭は終わり、10/2に作品内へ殺虫剤を投入する。アメリカミズアブを殺すことが目的だが、そこには巻き添えを食らう生物が数千~数万はいるはずだ。名前も知らない者たち。
僕は人間だからこんなことを言っているけど、自分の都合を振りかざして生きるのはもちろん人間に限った話ではない。トマトに付く虫がトマトを選んだように。虫も虫の都合で何かを選んで殺し、生きるほかない。それと同じように僕は作品内に殺虫剤を投入するんだとは思うけど、事実そこには理不尽に消されていく生命があることを、どのように受け止め折り合いをつけていくのか。人間である自分は考え続けなくてはならない。頭ではわかっていてもそう簡単にラインをひくことはできない。作品内の生物を殺すとき、ここに書いた全てのことと無関係に感情や感触が働いて、矛盾を起こすかもしれない。人間だから。その感触は今日はまだわからない。
2017.10.15 記
CELLのラストを前に、複雑な気持ちを抱えながら札幌へ向かったわけだが、実際の現場では生命をゴミのように扱い、感情はほとんど働かず、まるで河原でひたすら石をひろっているときのような静かな心境で作業をしていた。「作業」という言葉がしっくりくる。作業的に葬ることができてしまう。ただその背景には長い時間と様々な体験や葛藤があり、その全てが感情に結びついているので、ここで書いていることは本当に当てにはならないし、もちろん全てではない。
殺虫剤を入れた翌日、その虫たち(土を含む)を焼却処理するためにゴミ袋へ詰める作業をした。なぜだろう?これが一番精神的にこたえた。殺すときの何倍も感情が働いた。なんでだろうな。
その夜、宿泊場所の主人が僕とEYヨさんを温泉に連れていってくれた。これにかなり救われた。豊平峡温泉。すばらしかった。湯からあがって、そこの名物であるインドカレーを食べた。温泉とスパイスの親和性の高さに驚いた。三人で少し作品や芸術祭のことを話して宿に戻る。これが札幌で過ごした最後の夜。
翌日、山梨の自宅へ帰宅した。
2017.11.01 記
芸術祭が閉幕して一ヶ月が経った。僕はこの芸術祭での出来事を相当に引きずっている。性格的にそれは珍しいことである。よっぽどショックだったのだろうか。反省や痛み、発見や喜び、思うことは沢山あるが、このような経験ができ本当にありがたい。もしまた何かを制作する機会を与えられたとき、自分は何を考え、何をやろうとするんだろうか。
不甲斐ない自分の作品に関わってくれた全ての方々に感謝しています。過酷なCELLの餌やり作業に参加してくれた皆んな、行政の所業とは思えない不眠不休の姿勢で尽力してくださった札幌市役所・芸術祭事務局の皆様、僕をこの場に引き出してくれたキュレーターの藪前知子さん。
ありがとうございます。
藤田陽介

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