鳥と私

大晦日の夜に、近所のダンサー・鈴木ユキオさんの家で色々お話をしていたら、私の昔の話になって、頭に鳥を乗っけて演奏していた時期や、ストイックな現代音楽をやっていた時期などの話になった。自分の過去を思い返したり、ましてやそれを言語化するなんて事は、誰かに話すとき以外にはまず無い事だから、久しぶりにそういう話をすると、自分でも可笑しくなるような事を沢山やってきたんだなと改めて思いました。


頭に鳥を乗っけて演奏していた時期がたぶん一年くらいあったと思う。自作パイプオルガンが出来るより前、ギター弾き語りの時期です。鳥と言っても生きている鳥ではなく、自作の鳥でした。粘土で作った鳥に、羽を付けてリアルに仕上げました。長い髪を頭の上で団子にして、そこに鳥を結びつけていました。コスモ(cosmo)というベタな名前まで付けて、一緒に宇宙的な音楽を奏でようと...。 今、この話を人にする時はそれこそ笑い話になりますが、当時はもちろん100%本気であり、至極マジメにやっていた事です。なので思い返してみると、この鳥を乗っけた姿で、観客に笑われた事は無いと思います。当の本人が真剣なので、笑える感じではなかったのでしょう。

 

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結論から言いますと、この鳥が現在の自作パイプオルガンになったのだと思います。(笑うとこではありません、マジです。) 頭に乗っけた鳥の最も重要な効果はその視覚的な効果です。同じ1音を聴くにしても、その音と一緒に鳥が見えている1音と、目を閉じて聴く1音とでは、全く違う効果があります。つまり、音を聴くという行為は単に聴覚だけを使った行為ではなく、視覚や嗅覚、時に触覚や味覚までをも含んで然るべき...と思っていたのです。
鳥がパイプオルガンに変わったという意味もそこにあります。あのパイプオルガンは元々、楽器として作ったものではなく、視覚的な効果の為に作ったものなのです。いわゆる舞台美術ですね。私はコックピット(操縦席)と呼んでいましたが。あのパイプオルガンをステージにドーン!と組んで、その前でギター弾き語りをする為のものだったのです。結果、オルガンが出来た後に、私は自然と鳥を頭から下ろしたのでした。


当時のこういった考えにシンクロして出会った一冊の本がありまして、実はこの本もパイプオルガンを作るのに一役買ったように思います。これは中国の古楽器や日本の雅楽なんかに使う楽器を分析し、当時の演奏者の持っていたヴィジョンや楽器の在り様を書いた本なのですが、当時の私からすると、ここで書かれている内容はまさに自分のことだと...鳥と私のことだと...そう思えて仕方がなかったのでした。実際、かなり面白い内容ですので興味ある方はぜひ一読ください。

 

■杉浦康平著 「宇宙を叩く」(工作舎)

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...自作パイプオルガンが生まれ、ギターを弾かなくなって数年が経ちましたが、ここの所またあの鳥を乗せていた頃の曲やギターが、私に近付いてきたような、もしくはそういうモノも包み込めるようになってきたような、そんな気もしています。昨年10月に行なった山川冬樹さんとのコラボレーション公演『カントリー・ジェントルメン』では、最後にギターを手にし、私のデビューアルバムから「青」という曲を山川さんと一緒に演奏しました。これは山川さんのアイデアというか、背中を押されて実現できた事なのですが、たぶんライブで昔の曲を弾き語ったのは、この公演が数年ぶりでした。これが一つきっかけになって、今現在のパフォーマンスをさらに広げ、昔の自分が持っていた世界(...ある意味決裂 していた世界)をも包容しようとする方向へと向かっている...?のかなとも思いました。

音楽という枠組みからはみ出して、総合芸術のようなパフォーマンスに向かっているのだろうか?その辺は自分でもまだよく分かっておりませんし、ギターから自作パイプオルガンに変わったように...突然なにをし始めるか予測もできません。これからも鳥が居たり居なかったり、飛んだり地を這ったりするとは思いますが、そういう奇怪な変化も含めて温かい目で御観察して頂き、そしてたまにはパフォーマンスの現場へ足を運んで頂けたらと思っています。

今年もよろしくどうぞ。


2014.01.19

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