庭の充実
今月末、一緒にパフォーマンスをする首くくり栲象さんと、連絡をとり合っているうちに、ふと書記を書きたくなった。
栲象さんからのメールはどれも感動的で、ちょっとした業務連絡ですら詩のようにみえる。ぼくは栲象さんから受信したメールのすべてをテキストエディットにいれて保存している。
栲象さんは40年ほど前から現在に至るまで、ほぼ毎日庭で首を吊るアクションを続けている人。社会は色んな名前で彼を言い表すが、その行為はダンサーからも芸人からも一線を画するものであり、あらゆるカテゴライズは意味をなさない。栲象さんはただただ清々しい人間だとぼくには見える。
首を吊るという行為は一般に死へと向かう行為であるが、栲象さんのソレからは不思議と死へのベクトルはほとんど感じられない。逆に生へと向かう、まーーっすぐのエネルギーがその体験を包んでいる。ぼくの印象では人間がこの世に産まれ落ちて来る〈誕生〉と似ている。
栲象さんが打ち合わせで家に来てくれたとき、雲を眺めるのが好きだとおっしゃっていたが、それは中途半端な言葉ではないと思う。実際に一日中雲を眺めて(楽しんで)いられる人はどれくらい居るだろうか?
今のぼくにはできないだろう。
栲象さんと接していると、自分にとって大切なものを大切するということを思う。社会の中でアーティスト活動のようなことをしていると、ついつい他人が気になるものだ。あの人が~をしているとか、~な仕事がしたいとか、~と関わりたいとか。そうやってとなりの芝ばかりを眺めているのだ。
栲象さんがウチで何気なくこう言った。
「ま、庭の充実がすべてです。」
ここのところその言葉がいつもぼくの中にある。
2014/7/14
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