木
木、一本で何故こんなに乱されなければならないのだろう?
家の前が林みたいになっている。梅や桜の木もある。縁側からその林を見るのは癖のようである。夜になると木の影という影が重なって、本当の闇がそこにある。どれだけ目を凝らしても闇しかない。うっそうとしているから、そこがどうなっているのか謎に包まれていて、そこへふらっと猫が入っていくのを見ると、「わぁすげー、宇宙だ!」っと、いつも思う。
その林の木がちょくちょく切られ出したのは、去年の8月からである。その時はかなりの衝撃だった。どんどん風景が変わった。見えなかった建物が見えてきた。僕は勝手に自分の庭が無くなるような気がして、精神に異常をきたして、その一週間家にいられなくなった。遠くへ車で逃げた。帰ってくると、やはり不満足な風景になっていた。それでもまだ林という感じは残されていたし、納得しようと努力した。
誤解のないようにしたいが、私は別に木を切ることに堪えられないのではない。
原生林でもあるまいし、人が関わっているのだから、木を切って間伐したり、枝を落としたりするのは、むしろ必要なことだと承知している。環境問題~とか、木を大切に~とかの言葉に対しての方がよっぽど嫌悪感を感じるくらいだ。
ただなんだろう?この言い表せない感じ。そこの木が切られるのは本当にとてつもなく嫌だった。
そしてそれから数カ月後、また違う一帯の木がばっさり切られた。もう魂が抜けた感じがした。
それから二ヶ月後の今日、まただ。今回は最初の一帯の向こう側ら辺。まず草を一掃して、池のほとりに立つ大きな木を根元から切った。こういう時、いつも居ても立ってもいられなくなり、近くへ行き隅の方で怪しげに眺めている。不審そうに見られているのを感じる。何もしない。ただ突っ立っている。その隣の木が次に切られないことだけを願っている。本当に嫌だ。『私の庭だーっ!私の庭だーっ!』
今回の作業で、猫が入っていく例の宇宙は完全に姿を消した。
2.26