蚕の家で


〈photo|fanaco〉

「蚕の家で」という名の自宅イベントを開催しました。今回(5/19)で二回目の開催となり、そこで聴くことのできた音や、見ることのできた風景、そして足を運んでくれた方々の言葉を受けることで、改めて...やって良かったと確信し、そして、やっていきたいと決意している今日です。


ここ藤野は、神奈川と山梨のちょうど県境に位置する山里で、近くには相模湖が広がり、トンビがピューピュー鳴いているような所。都内から車で一時間ほどで辿り着けるにも関わらず豊かな自然があるため、戦中・戦後多くのアーティストたちがここ藤野に疎開してきたと聞きます。(画家の藤田嗣治や猪熊弦一郎など)

私の住む家は、そんな藤野にある築百年 の日本家屋。たまたま通りがかりに見つけ、近所に聞き込みをして大 家さんを教えてもらい、頼み込んで借りたのでした。住み始めて二年と二ヶ月、良好です。さてここまで田舎アピールをしておきながら矛盾しますが、私は田舎好きか?と聞かれるとおそらく答えはNOでしょう。では都会好きか?と聞かれたら、それもNOでしょう。しかしどちらかと言うと、私は都会に対して憧れを持っている類の人間だとは思います。私はいわゆる典型的な田舎者なので、ミーハーだし、成り上がり欲も強い人間です。それでも田舎を選ぶのは、好き嫌いとは別の話で、たぶん田舎の方が身の周りの色んな出来事に対して《納得できる》からでしょう。

利便性を重視した都市構造の中では、ひとつの現象について考える余地を与えてくれません。蛇口をひねったら水が出る 。それ以上でもそれ以下でもない。そこに?マークを持てるような時間などないし、例え時間があっても水道管や電線などのあらゆる機構は道路下に隠されているので、想像はできても実感はできない。算数の公式みたいな感じかな...、意味不明の数式だけど、それを使えば即座に答えが出るみたいな。...たぶん私はそれが非常に気持ち悪いのです。公式を使って出てきた答えに納得できない性分なのです。おそらく私と同じように、算数から数学に変わり公式が次から次へと出てきた時に、このような違和感を憶えた方も少なくないのでは?...それが田舎を選ぶ私の理由です。



話を自宅イベントへと戻しますが、この家でイベントを開催しようと思った発端は別に田舎暮らしを薦めたいからではなく、単に自分にとって最も良いパフォーマンスができる場だと考えたからです。しかし、ここで実際にイベントをやる中で、それ以外の意味が少しづつ見え始めてきたように感じます。私と、パートナーのめぐみとで繰り広げられるこの家の《生活》を見てもらうことが、微力ながらも見る人にとって良い効果があるように思えてきました。そう思えるようにさせてくれたのは、足を運んでくださった皆さまのおかげであり、そしてその感想を私たちに伝えてくださった皆さまのおかげです。


そもそもこのような文章を今日書き記そうと思ったのは、足を運んでくれた人の一人であるアーティストの山川冬樹さんが、この自宅イベントの感想を丁寧にTwitterに記してくださったからです。それを読んだことで、私もこのイベントについて少し丁寧に書き記さねば...と思い、こうして書いている次第です。

そして次回の「蚕の家で」のゲストはもはや必然であったかのように、その山川冬樹さんであります。アーティストとしても、人間としても尊敬する山川さんと、この家で一緒にパフォーマンスを作れることを嬉しく思います。今までに無い、奇跡のような体験が待っている...そんな予感がします。情報など、また決まり次第お知らせさせて頂きます。この家で、山川さんと共に、そしてパートナーのめぐみと共に、皆さまをお迎えできるその日が、今から楽しみで仕方がないのです...。

2013.05.22


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