養蚕の家
わたしは今、築100年をこえる古民家に住んでいます。
水は山水をひいて頂いています。家の裏には水の神様と稲荷の神様が祀ってあります。おそらくその祭壇も100年以上前からそこにあるのでしょう。本当ならば毎日、そこで手を合わせ「ありがとう」と言うべきなのに、どうしてもさぼってしまう自分がいます。こういう家で暮らしていると、そういうことが昔はいかに普通のことであったか、そして彼らが何を考えて暮らしてきたかが、わかるような気がします。
その一番の例が家の仕事の多さです。昔の人は忙しかったんだな...。木の家だからとにかく毎日掃除をし続けないとカビはすぐ生えるし、家の周りにはありとあらゆる実が落ちてきて、それも片付けないと虫がわくし、畑の仕事は時間も手間もかかる。その上、昔は今みたいな洗濯機もなかったんだから、毎日の洗濯は気の遠くなる作業だったでしょう。御飯の支度もしないといけない、風呂も焚かないといけない、、、そしてそれらの仕事をやってのけた上で、さらに自分の仕事もあるのです。
正直、今の私には到底できない働きぶりです。私なら掃除して、家の周りの実を片付けた辺りでコーヒー呑んで、気がついたら日が落ちるぞーって慌てて夕飯のことやって、オルガンと遊んで、もう寝なきゃ...です。自分がどれだけ怠けて生きてきたかがわかります。
そんな家ですが、昔は養蚕の家だったそうです。
カイコを育て、絹糸を作って、暮らしていた家。それがどういうものだったのか全く知りませんでしたので、少し本を読んでみたのですが、いろいろと驚きました。
カイコは家蚕(かさん)とも言われる家畜化された昆虫で、実は野生には生息しない。人間の管理なしでは生育することのできない、昆虫の家畜なのだ。成虫になると一応羽はあるが、お腹が大きくて飛ぶことはできない。また人間が近づいても逃げようとせず、逆に人間の方に自ら近づいてくる、という習性を有する。私は複雑な気持ちになった...。人間が糸をとる為にこのカイコという生き物が作られたのかと。しかしそれはあまりにも安易な、現代人ならではの嫌悪感であったと思う。
養蚕は5000年も前からずっと続いてきているのだ。あの縄文時代から...。現代人とは比べものにならないほど、自然とともに生き、敬い、怖れ、共存していた縄文人が養蚕をはじめたのだ。それが全てを物語っている。わたしの抱いた嫌悪感は実に浅はかなものだと思わざるをえない。現にわたし自身も、本を読み進めるにつれて、次第に感じ方が変わってきた。
この話は林業とも通じることがあるように思う。
木を切って売るという行為に、簡単に嫌悪感を抱くのも浅はかだった。
大事なことは「共存」、共に在るという意識だと思う。関わらなくなった山が一番ひどいことになる、自然と関わらなくなった人間が一番ひどいことになる。養蚕は、カイコと人の強い関わりのなかでしか成立しない。昔、弓で動物をとらえ、自分でさばいて食べていたころと同じ。そこには全身で体感する「死」があって、それがそのまま「生」となって立つ、自分の足がある。
モンゴルの遊牧民が羊をさばくとき、一滴の血も地面に落とすことはない。私は私たちは...これでいいのだろうか?「良い」はずがない。今日も食卓には無数の命が並んでいる。それを食べて、この手が動く。喉が鳴る!昨日は豚も食べたし、ししとうも玉葱もトマトもピーマンもかぼちゃもにんじんも食べた。
つまりこれは豚の物書きであり、
ししとうの唄だ。
玉葱のストレッチ、
トマトの皿洗い、
ピーマンのダンス、
かぼちゃのオルガン演奏、
にんじんのあくびだ。
2011.08.27