しっちゃかめっちゃか 1

いやはや...全く大変なものです...。
どういうわけか、次から次へと事件がやってくるものだから、「何かとんでもない行いをしでかしてしまっていたのだろうか?」と、自分の日頃の行いを見直したくらいです。


ちょうど四年住んだ、石切(大阪)を発つ日。パンダマークの引越し屋さんがやって来て、全ての荷物を積み終えたのが夜7時過ぎ。何かの手違いでエアコンの取り外し業者がなかなか来なくて、エアコン待ち...夜8時。それから急ぎ足で神奈川県へ向かうために石切を発ち、高速に乗る前にガソリンスタンドへ入る。レギュラー満タン注入し、キーを回すがエンジン付かず目が点...。店員さんやって来て、「バッテリーからっぽですよ。これはバッテリーの寿命ですね...」と半笑いで通告され、「ではバッテリー交換してください。」と半笑いで懇願し、ガソリンスタンドで一時間ほど足止め。

作業中の車の中には猫が二人、震えながら待っている。

うん...猫を連れているのです。
石切の家の庭ですっかり家族になってしまった野良猫が二人いましてね、仕方ないのでね...、一緒に連れていこうということになりまして、猫からすると迷惑な話ですが、迷った末...連れていくのが猫にも良いはずだ...と勝手に決意しましてね、それで生まれてから一度も乗ったことのない「車」という悪魔に押し込まれて...ゲージの隙き間からは見たことのない世界が次々にスライドしていきますし、音も凄いし...で、ただただ震えながら耐えているわけです。


「終わりました。」とバッテリーの交換と空になっていたラジエーター液の補充も終えて、改めて大阪を発つべく高速に乗る。このとき夜10時ごろだったろうか...?ともかく向こうに着くのが朝になることは間違いなかった。高速に乗って、よりいっそう凄まじいエンジン音が響く車内で、私も連れ合いの彼女も猫のことだけを気にかけていました。猫が怯えた調子でひと鳴きするたびに、私たちも揃ってひと鳴きし...いつもはあっという間の吹田~京都間でさえ、永遠のように長い道のりでした。

滋賀の草津PAで遅めの夕食をとり、猫に水をやってから、疲れはれた人間二人は煙草に火をつけ、ここまでの道のりとこれからの道のりを思いながら、ただただ笑うしかないようでした。そして息を整え、草津を出て、わずか30~40分後の事です...。車から異常音がきこえ始めたのです。私は「パンクだな。」と落ち着いた声で彼女に言ったものです。度重なる災難のおかげで、妙に冷静でした。とりあえず次のPAまで走ろうとハザードを点け、路肩に寄せて、40~50kmで走りました。が、走りながら、どうもただのパンクではないような気がしてきました。異常音の様子がパンクのときとは違っていたからです。決定的に違っていたのは、異常音の場所が途中で動いたことです。はじめ左前方できこえていた異常音が、途中で真ん中前方に動きました。パンクならこんな現象は起こりません...ひたすら同じ所からバリバリ鳴ります。音は正直です。


しばらく走っていると、後方からパトカーが来ましてね、そりゃ当然ですが、「あぶないぞ~後ろ付いて走ってやるから信楽ICまでゆっくり走れ~」と言われ、そのままパトカーを後ろに連れて信楽ICまで走りました。警察の仕事はそこで終わり...「危ないから、そのまま走っちゃだめだぞ。JAFなり何なりに電話して直してもらえ~。ここは信楽ICだ。」と言い残し、そそくさと消えた。

私はすぐに自動車保険の救急サービスに連絡し、近くの自動車屋さんを要請しました。とりあえずその到着まで車で待機するしかありません。この時、おそらく深夜0時を過ぎ、日付が変わっていたことと思います。2011年3月25日のことです。信楽では霧が発生し、寒い夜です。雨の音がする車の中で四人はただただ震えていました。

一時間後、大きなトラックが来ましてね、荷台に載せられ、高速を降りて最寄りの自動車工場へと搬送されました。信楽の出口あたりで、大きな信楽焼のタヌキを見ました。工場には深夜だと言うのに愛想のよい男が一人待っていました。

「どうもお疲れさまです。これね...たぶんエンジンですよ...結構嫌な音がしてますのでね...、とりあえず明日ゆっくり見てみますが、エンジンがダメになっちゃってる可能性が高いですね。」

とのこと。車は明日の朝一番で見てもらうとして、人間二人は近くのホテルに一泊するとして、問題は猫二人...。ホテルには連れていけないので、工場の待合い室の隅っこにゲージを置かせてもらい、せめてもと...毛布をかけてやって、工場を後にしました。ホテルまで送ってくれると言うので、工場裏の車に向かうと、そこにも大きな信楽焼のタヌキが「ぬっ」とした表情で立っていたのでした...。

そして私は心の中で《タヌキ...タヌキ...》と連呼しながら、こんなことを思い出していました...。


.....石切を発つ7日ほど前のこと.....

家の近くの小さな錆びれた陶器屋さんで気にいった皿を見つけまして、それを買いました。その店は信楽焼ばかりを扱っていて、店内どこもかしこも信楽焼でした。店は基本的にいつも閉まっていて、扉についた呼鈴を鳴らすと、店の奥の住居からおばさんが出て来てくれます。
おかしな事に、おばさんは私の顔を見るなり、なかなか開けようとしませんでした。何を怪しんでいるのか判りませんでしたので、とりあえずガラス越しに....「そこの皿を見せて頂きたいのですが~?」と二度も三度もお願いして、ようやく戸を開けて下さいました。

客だというのに何故か冷たい視線を背中に浴びながら、一通り店内を物色したのち、最初に気になっていた皿をとって、「これください。」と言いました。すると、

「あぁ、好きなのね?...こういう陶器とかお好きなんですね~?!」
と、しきりに驚いておられ...、
「へぇ、そう~私、今まで男の人に売ったことないんですよ。」
と...。
『え?そうなんですか?陶器が好きな男の人なんか沢山居ますよ。』
「そう?私、売ったことない。はじめて。」
『あぁそうですかぁ。』

などと会話しながら、おばさんは皿を新聞紙に包んで、それをデパートの紙袋に入れてくれた。そして、何故か右手には小さなタヌキを持っている...。それを私に差し出して、

「私、知らなかったから...最初変な顔しちゃったでしょ?ごめんなさいね?でももう顔も覚えたから、これ...お詫び。信楽焼のタヌキ。...ほんとごめんなさいね?」

と言いながら、タヌキを渡されたのです。およそ4、5cmの小さなタヌキの焼き物でした。爪楊枝入れでもなく、箸置きでもない、置き物のタヌキです...とても小さな。私は...
『有難うございます~。いいんですか?いただきます。』...と言いながら内心、【あぁ、これいらないなぁ...】と思いました。よりにやって引越しの直前なので、物はなるべく減らそうと...家の物も大量に処分しているところ...、申し訳ないが、このタヌキもすぐに捨ててしまうだろうと、そう思ったものです。

そして...店を出て、戸を閉め、いざ歩き出した、その直後。そのタヌキを地面に落っことしてしまいました。タヌキは「パラんっ!」と乾いた音を出して、粉々に散らばりました。頂いてから、10秒ほどの出来事です。私は慌てて破片を拾い集めまして、紙袋に入れて、そそくさと退散いたしました。幸い、おばさんは気がつかなかったようだったので、ひとまず安心しましたが、私は罪悪感に苦しみました。
「いくらなんでも、せっかく頂いて、こんなすぐに壊してしまうなんて...。捨てるつもりだった...が、捨てるにしても、これはよくない。とりあえずこれは直さないとな...。」
私は家に帰ってすぐに、陶器用の接着剤でそれを修復しました。慌てて拾い集めたにも関わらず、破片は全てそろっていて、ちゃんとタヌキを修復することが出来ました。そしてそれを眺めながら、【これはもう捨てらんないなぁ...】と思いました。不思議なものです...。捨てようと思っていたのに、壊してしまったことで捨てられなくなったのでした。


ホテルに向かう車の中でそんな事を思い出しながら、《でもちゃんと直したし!でもちゃんと直したし!》と自分で自分をなだめていました。そういう「もしかすると、これはタヌキのいたずらか?」的な考えが頭をよぎるのも、無理のないように思います。だって、そんなタヌキの思い出ができて間もなく、高速で車が潰れて運ばれた街がタヌキの街「信楽」だったのだから。そこで何度も目に入る大きなタヌキは、今も私の荷の中に入っている...、あの小さなタヌキと瓜二つ...、まるで親玉のようにこのタヌキの街に点在しているのですから。


2011.04.22

[つづく....よてい....。]

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