コドモオト

「森の遊園地」


いつもたっくんと2人で山で遊んだ。

ある日、いつもの山のその反対側へ行こうと思ってずいぶん歩いた。山が森であることをはじめて知りながらずいぶん歩いていたら、突然かべが現れた。森の中にかべがあるなんて思いもよらなかったから、2人とも驚いて黙った。かべの向こうに何があるのか?こわかった。知りたかった。おそるおそるよじ登って越えると、そこは空き地...?森どころか木もなくて、平らだった。たっくんと2人、ここがドコなのか?なんの場所なのか?判らなくて、判らないことが怖ろしくて黙って歩いた。あたりは静まりかえっていた。はじめて静かな音を聴いた。
そこら中に転がっているガラクタ、知らない機械、、、の向こうに馬がいた。それは壊れたメリーゴーランドだった。愉しくないメリーゴーランドはこわかった。怖くて逃げるようにわきを走り抜けた。するとまたかべが現れて、今度は慌ててよじ登った。かべから離れるように、また森を歩いた...いつもの山の向こう側はもうすぐ。あそこに見える光がそうだと思った。走ってそこまで行ってみると、そこはいつもの山だった。




「とんぼ」


とんぼの音を知ってるかい?って誰かが言った。その誰かがホラっ!っと空を指差したので、指差された方を見ると、屋根の上くらいの所に一匹のハエが点っと小さく見えた。次の瞬間、とんぼがその点をかっさらって行った。まぁるく孤を描きながら、その線上の点を咥えて行った。こんな大きな空であんな小さな点を一寸のずれもなく捉えられるなんて...どういうことだろう?それはまるで天体の動きのように正確で美しかったが、ぼくの耳にとんぼの音は聴こえなかった。





「地球釣り」


釣り用語に「地球を釣る」という言い回しがある。「根がかり」のことである...

「あぁぁ、また地球釣ってもた。」
となりのおっちゃんがやれやれと愚痴をこぼしている。風は弱いが、潮がはやいのだ。陸では眠りを誘うのんきな釣り日和だが、海の中には嵐がいる...。嵐は白いタコを連れていて、そいつが釣り糸を引っ張って岩陰に押し込めて、わざと地球に引っ掛けて遊ぶのだ。

あくびをしながら僕も釣り糸を海に垂らし、波に揺れる糸をぼーっと眺めながら、海底の様子を想像していた...

「そろそろだにゃぁ...」
ボソッと呟きながら、背中が満月みたいに丸くて、白いヒゲが地面に付きそうな格好のおじいさんが、竿を片手に堤防のふちに腰掛けた。
何用の竿だろうか...見たことのない細長い紅色の竿で、小あじですら釣り上げられそうもないほどの細い糸が竿先から垂れていた。海の中には嵐がいるというのに...そんな糸、今にも白いタコがたやすく断ち切ってしまうだろうに...。目と鼻のさきに浮かぶ小島の雑木林から5、6羽ほど鳥が飛んで行った。

「おっ..よいこら、よいこらっ」
何かがかかったようだ...、あんな糸で何が釣れるだろうか?と、糸先を追って見ていると...なにやら丸いものが水面から出てきた。にわとりの卵ほどの球体で、深い青々とした色のものだった。おじいさんはそれを取り上げると足元に置いてあった小さなバケツの水に浮かべて、「いよいよ...」と呟きながら、また次の糸を投げ入れようとしていた。
そこで気づいた...よく見るとその糸には針がついてない。先には何か輪っかのようなものがついているだけで他には針もオモリも何もついてないのである。好き者の僕は、釣り道具屋に行くたびに、サビキ、天秤、ちょうちん、ブラクリ、ジグやルアーなど...色んな仕掛けを隅から見て回るのだが、そのような仕掛けを見たことはなかった...

「オッ..、ホッホッホ」
また釣れたようだ。さっきと全く同じ色・大きさの球体が、糸先の輪っかにスッポリとはまっている...


「ひゃっひゃ。しろ~いタコさん遊びましょ~あお~い地球を連れてこい」
調子よく歌いながら糸を垂らして、竿先を風に泳がせた。

「...こうやってのぉ、地球のとこまで白いタコさんに連れてってもらうんじゃ。クモの糸は細うて強うてよぅ伸びる...海の底のもっと深ゃ~いトコ、水が出てくるトコ、そこにこないにして可愛く待っちょる。」

『そうですかぁ。地球釣りがお上手なんですね?』
...勝手に口がしゃべったようだった。よく判らない話なのに、ずっと前から判っているかのように返事が出てきた自分に驚いた。

「ひゃっひゃ。やってみるけ?」
そう言いながら、嬉しそうに竿を僕に手渡した。それは妙な手触りがした...どう見ても木製のものなのに、肌に吸いついてゴムみたいに柔らかく、まるでタコの足でも掴んでいるかのような心地がした。海の中へ伸びる糸を見ながら、あの輪っかがいま海底でどうなっているのか...必死に想像をめぐらせてみるが、うまくできない。横でおじいさんはニヤニヤと海を眺めている...。

「..お?」と喉がガタっと揺れたような声をおじいさんが洩らした瞬間、輪っかに何かが触った振動が手元に伝わって来て、糸がすーっと海の中に伸びていくようだった。一体どういうわけか...竿先に結びつけた数メートルの糸のはずが、それは永遠に伸びていくように感じた。
僕はなされるがままに竿を預けて、ただただ糸が伸びていく感覚の中でじっとしていた...

しばらくして...ふっ!と糸の力が抜けたように感じたその直後、何か重たいものが輪っかに捕まった気がして、反射的に僕は竿を起こそうとした。


《それっダァメ~!!》
頭の中で雷のようにおじいさんの声が鳴り響いて、心臓がキュキュっとちぢまり、あわてて竿先を戻したが...もうそこには何の手ごたえもなく、すぐ目の前の水面にあの輪っかが漂っているのが見えた...。
おそるおそるおじいさんの方を向くと、先ほど変わらぬニヤけた顔でこちらを見ていた。


「ざんねんでしたぁ。こないして可愛くのぉ、遊んで遊んでぇってせにゃ好かれん。“釣る”んじゃのうて、“連る”ようにせにゃ...。」

僕はなんだか一瞬で年老いたような気分になって、すみません...と、申し訳なさそうに竿を返した。


「じゃんが...ようこらえたのぉ?自分がどこまでも伸びてゆくのは恐ろしかろう...そのまま水に溶けて、自分も海も無くなって...もう帰ってこれんようになる気がする...。なにが自分だったか、いつから自分だったか、わからんようになって、生まれる前からずーっとこうしてここに居ったような...気づけばみぃんな昔から知っておったような、したらみぃんな可愛くなってきてのぉ?遊んで遊んでぇって・・・・・、」

話を聞きながら少し疲れたのか、おじいさんの声がエコーのように響きはじめて、左耳から右耳へ言葉が通り抜けてしまっているようだった。どうもくたびれたなぁ...と話半分におじいさんの顔を見ていると、ふと白いヒゲがいつの間にか地面についてしまっているのに気づく。そしてよく見るとそれはクネクネと動くのだった。だんだんとヒゲの中に吸盤らしいものが見えてきて、話し終わる頃にはもうすっかり、おじいさんは白いタコの姿になっていたのだった。

「・・・・・じゃから、地球と同じなんじゃ。」

『...。』

「ひゃっひゃ。ちと疲れたかのぉ?」

おじいさんは自分の姿が白いタコになっていることに気づいていない様子だった。もしくは最初からそうだったかのように当たり前の様子でまた釣りを始めるのだった。

僕は見ないふりをして、
『それじゃ、さよなら。』
とだけ言って背中を向けると、

「あ、これあげよう」
白いタコのおじいさんはそう言うと、一本の長い足をバケツの中へ伸ばして...足の先端の吸盤に「地球」を一つくっ付けて、それを僕に差し出した。

『ありがとう...』
それをポケットにしまって、僕はその場を離れた。


...空には満月が地球のように浮かんでいて、僕はそれを眺めながら歩いた。とても遠くから今まさに「帰っている」という気がしていた。
《そうか...、僕は白いタコさんに連れられて、海の底のもっと深ゃ~いトコ、水の出てくるトコで遊んでいて、こうしてポケットに「地球」を持って、今どこかにまた戻ろうとしている所なのかもしれない...。だとすると、僕はどこから来たのだろうか?どこへ帰っているのだろうか?》
...ポケットの「地球」を取り出してそれを大事に目に焼きつけて、三たび空を見上げたら...満月が僕のすぐ目の前に大きく迫っていた。
どんどん月が大きくなって、明るくなって、もう道や地面や辺りの建物も全部が光に包まれた頃、僕の目には光しか見えなくなっていた...
光の中で手も足も不自由だったが、そこに赤ちゃんの泣き声が聴こえてきたので、耳だけは自由なトコにあるのがわかった。






2010.11.03

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