玉鈴 -tamasuzu
先日、革ひもを探しにある雑貨屋へ行ったところ、かわいい風鈴を見つけた。風鈴としては、出来が悪く、硝子細工としても洗練されておらず...
鳴らせば何とも不安定な代物ではあったが、そのいびつな造りと値段に誘われて2つ買おうと思い、それをぶら下げて店内を歩きまわっていた。
歩くと風鈴はカチカチと音を出す。2つの風鈴が接触している状態なので、いわばミュートをした音でカチカチと鳴っている。しかしとりあえず今は革ひもを探そうと、音にかまわず店内を歩きまわるのだが、時折現れるその偶然的な響きに思わずハッとした。
音楽を意識しないで、歩くことを意識する中で生まれてくるリズムは、「無作為」で在りながら「規則的な反復」を持っている。そこに興味がある。結局、その風鈴を3つ買うことにした。
それを楽器として、「玉鈴 -tamasuzu」と名付け、演奏しているとすぐに玉鈴の虜になった。
「音楽」を意識しないで、「身体」に意識を向ける。身体を規則的に動かしていると、さっき店内で体験したような、偶然的な反復リズムが次第に現れてくる。が、そのリズムを「聴いた」途端に、それは壊れてしまって、リズムは消えてしまう。聴いた瞬間に、身体運動がわずかにブレるのだろう。玉鈴は思いの外、敏感である。
何度やっても、そのリズムを「聴きながら」、それをキープすることは難しい。音楽を意識した途端に、音楽でなくなるというパラドックス。そこに興味がある。
音を「聴かないで」、ただただ「運動」に注意してみる。音を聴きはしないが、音は「聴こえている」...。
あのリズムがやって来た、それを聴かないで、ただ「聴こえている」中で、運動を意識する。そうすることで、不思議にリズムをキープすることが出来る。それは何か奇妙な感じを伴う。きっと無意識に「聴く」姿勢が出来てしまっているからだ。
「聴かないことで、聴こえてくる音」がある。「音楽しないことで、音楽がうまれる」方法がある。
それをこの楽器は見事に教えてくれた。
音を聴かない奏法...
それが玉鈴という楽器から出てきた最初の術。
2010.07.06