土器、ドキ、した。

あらゆるサウンドスケープ(音風景)を求めて知らない土地へ行く。知らない土地は近所にもある、海の向こうにもある、何処もかしこも知らない土地だらけだ。私は知らないことを知りたいと思う。ついつい知っていることを反復してしまう習慣や癖に、私は数年前、宣戦布告したのだ。と、言いながらもしれっと寄り添って生きている。敵は手強い、こちらの必殺技は知らないことをやり続けるしかない。
幸い、知らない土地だらけなのだから。


「土器、ドキ、した。」...つまらん洒落ではあるが、確かに土器はドキドキするものを持っている。
今日の話だ。自宅からそう遠くはない知らない土地への道中に、歴史民俗資料館を見つけ、パンフレットの土器の写真に誘われて、ふらっと入る。
この近辺にはどうやら遺跡や古墳が無数に点在しているようで、展示している土器は全てこの近辺で出土したもののようだ。

入って順に、昔のこの地域の生活の様子や風景を写真展示したり、「斧」おの、という道具をこの地域では「斧」よき、と呼んでいた...とか、まあ知識欲はいくらか満たされるが、どうってことはない。そこへようやく土器コーナーがやってきて、まず古墳時代(約1700年前)の土器、さらに遡って弥生土器(約1900~2000年前)。弥生土器のすっきりとした姿形を見てふと、「器」というものは本当に昔から形が変わってないのだなと、いまごろ関心する。楽器の歴史はとてつもなく浅い。あのバッハが死んだのはちょうど今から260年前の話だ。今、目の前にあるのは2000年前の器だ。それを見て「器」だと認識できること自体、驚嘆に値する気がしてきた。
だが「音」の歴史は土器よりもっと古いのだ。そう思った途端、『きのうよりわくわくしてきた』と言う、鈴木昭男さんの言葉に私は大きくうなずいた。

その次の瞬間、
私はドキ!っと心臓が縮こまるのを感じた。縄文土器であった。弥生時代からさらに遡ること数千年...間違いなく人は魔法を操っていた。
これはその証明だ。表面に描かれた呪文のような線画...女性器のヒダの様に波打つふち...まるで生き物のような出で立ちとその気配...この土器には魔法がかけられている。その証拠に私の身体で先程から奇妙な音がシュコシュコと鳴っているではないか。その音は口の中で発生しているようだが、それもこれも土器に宿る魔法のせいだ、私のせいではない。が、そんな様子に学芸員がコホンっと咳を一つ...弥生時代とは明らかに異なるヴィジョンを持つ縄文時代。さて、その自由な感性と同じフィールドで、私は「音」と立ち合ってゆけるだろうか...


民俗資料館を出て、少し山の手に進んだ辺りで車を停め、歩いているとあるサウンドスケープに出会う。畑だ。畑に無数の竹竿を立ち上げて、先端に大きな風鈴を付けている。空き缶を2つ3つぶら下げたのも
ある。ペットボトルで作られた回転する羽によって動く物体もある。畑の四方には、フライパンと食品トレーを組み合わせたものを鉄の棒にくくりつけてあり、時にそれはガムランのような音階を生んだ。その全てが風に煽られて、
『リーン...カンッカンカカカカ、ゴーーンッ、バコッべこっ、グワン、びんびびびびっ、ガンゴーンッ...』と...(擬音語の貧弱さには私も今驚いてはいるが)、それはさて置き、得も云えぬ音がそこには同時多発的に繰り広げられていた。原始的なリズムと響きによって、鳥と闘っているのだ。作者には単なる鳥除けの装置なのだろうが、その空間は見事に一つのサウンドスケープとして、土地に響いていた。


2010.04.14


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