フィールド・レコーディングに就いて

あるサウンドアート展に着想し、ここのところその作品の実験のために、フィールドレコーディングに打ち込んでいる。この作品は「ある土地とのきこえ」というのがテーマであり、つまりその街の響き、その日の風景や出来事の音、土地の鳴りに耳を向けてみるということ。

そこで近所から知らない土地まで、色んなまちで、ひたすら歩いてフィールドレコーディングを始めてみた。
まず最初に、何も考えずにレコーディングをやってみたところ、自分が何か面白い音を探していることに気づいた。それはつまり物体の音である。
水の音や鳥の声、人の音や機械の音など、いわば物体そのものの鳴りに誘われてRecボタンを押している。もしくはその物体の運動する音であるとか、言ってしまえば単に面白い音探しになってしまっているということである。

それではすでに現存するサンプリングやサウンドコラージュのようなものと同じであるし、せっかくのフィールドレコーディングもどんどん「作為的」になってしまう。この方法ではそういった音との出会い以上のものは何も生まれないし、何より「その土地」である必要性もない。これでは土地のきこえに立ち会うこともできないであろう...


そこで、フィールドレコーディングの本質とは、鳴っている音を探すのではなく、鳴っているフィールドを探すことではなかろうか?と、考えた。

今度はそう思ってまちを歩き、面白い音に反応してしまう欲求を抑えつつ、とりあえず鳴っているフィールドをさぐり、無作為にRecボタンを押して採集していくことをやってみた。
ところが、そうやって集めた音の中に鳥の声が多く入っていることに気づき、それはもしかして私が鳥好きだから、結局フィールドに反応するつもりが、鳥に反応してしまっていたのではないか?と、一瞬どぎまぎした。
が、落ち着いて考えてゆくうちに、あることが判ってきた。

そういった場所には、遠くの音がよく聴こえているのだということが。
私が鳥に反応していたのではなく、そのフィールドが鳥の声を拾っていたから、そしてきっと鳥は、そういった場所に届くように鳴いているのだということも感じられてきた。
つまり大きなパラボラアンテナのように、その場所は全体の音を拾い集める地点であり、音を受けとるスペースであるのだと。

ということは当然そこには「その日の土地の音」が鳴っているはずである。


フィールド・レコーディングとは、まさに“フィールド”を録音すること。その意味がようやく少し判った。私は今までフィールド・レコーディングらしい事をやっていただけで、本当の意味でフィールド・レコーディングをしていなかったのだと、痛感された。


フィールド・レコーディングは深い...
これからこの課題に取り組んでいく上で、おそらく今回の発見は最低限のことだ。最初の扉をくぐったに過ぎない。しかしきっとフィールド・レコーディングの中心にある姿勢だと思われる。


2010.04.07

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