ピカソ
アンリ=ジョルジュ クルーゾー監督、1956年作
「ミステリアスピカソ~天才の秘密」というドキュメンタリー映画を観る。
次から次へとピカソはとにかく絵を描き、その過程をあらゆる方法で撮影する。その画家の線を見せていくことで、ピカソの内部をさらけ出そうという映画。
映画はどうでもいい。
ピカソだ。怖るべきピカソ。
圧巻。とにかく驚かされる。80分そこらの映画の中で少なくとも50回は驚いた。100回くらいかもしれない。「信じられない。」と何度も口にした。こんな短時間にそれだけ驚かされることは、映画でも音楽でも滅多にない。
はじめてかもしれない。
何年か前に初めてピカソの凄さに気づき、腰が砕けてから、私は恥ずかしがることなく、堂々とピカソという山を自分のヴィジョンの中に置いた。
間違いなくその必要があるから。そして、
彼は死に、私は生きている。
そこから逃げてはいけない。
映画を観ながら驚く。
まず、「この人、ほって置いたら本当にずっ~と描いているのではないか?」
という気配。
そりゃ飯も食うし、風呂も入るし、外出もするだろうが、そのエネルギーの厚みと規模を見ていると、本当にいつまでも描き続けているような、そんな風に見えてくる。
事実、その作品数も桁外れなわけだが。
そして、その実験性。
せっかく良い牛の頭が出てきたのに、それを惜しげもなく壊して、その上に線を描く。そこからまた新たな輝きを探す。
怖るべきことは、それを常に行なっている点だ。
常に新しい刺激と試みに溢れている。
常に実験している。
常に全力である。
これは簡単ではない。
作品を作るという頭があるようでは、到底できない。
作品を作るという頭は、良いものを守ろうとする。そうやって先を見る。
常に新しいことをやろうとする頭は、先を見ない。この瞬間の挑戦でしかない。
それは、どれだけ毎日絵を書いても、どれだけ毎日演奏しても、慣れないということ。いつも掟破りで、いつも試みること。
当然、そこにはリスクがある。
常に初めてのことなのだから、失敗は常に起こる。
だがリスクなしに飛躍なし、である。
その全てにおいて、ピカソは全力だ。
その姿に、そしてそこから現われ出る新しい線に、ふるえが止まらない。
感動的だ。
大好きだ。
そして悔しい。
ピカソ、
私も愉しくてしょうがない。
おかげで今日、
また新しいスイッチが一つはいった。
2010.02.04