月とピラミッド

一人の人間は、常に色々な流れの中に居る。

その無数の流れの中のたった一つ、自分にとって中心にあるような一つの流れを、コントロールするだけで手一杯である。しかし結局の所、その一つの流れだけで何かなるわけではなく、その他の無数の流れとの兼ね合いで、ようやく一つの物が生まれたり、一つの変化が現れたりする。


例えば、曲が生まれるのも流れである。作ろう作ろうとして生み出すことも当然できるが、結局の所できる時にはポンっと生まれる。それは実は、インスピレーションとか感性などの問題ではなく、様々なエネルギーの流れによって生まれる、偶然的な発見,出産である。何かができたとき、それは自分が凄いのではなく、周りが凄い。周りというのは、もちろん手の届く範囲ではなく、自分の知らない規模である。


色々な流れは、そういった自分の知らない規模で、交錯しながら流れているが、それがある所でスッと重なる。その時には、なんと言うか運動のダイナミズムが生まれて、いつもより高く跳べるとか、サラッと大きな絵が描けるとか、しれっと新たな演奏術を習得できたりする。そういう時は物欲も食欲も性欲も基準値からグンと上がり、朝まで演奏しても平気、次から次に現れる発見も、いくらでも消化できてしまう。それもこれも全部、自分ではコントロールしきれない所からやって来る、流れであると思う。


では、流れがあれば誰にでも作れるのか?
もちろん、作れる。と言うか、流れは誰にでもある。しかし問題は流れに気づけるかどうか。その上、流れは無数。常にある流れの何を汲み取っていくのかは自分次第。それに当然、流れの中にはアタリとハズレがある。
本当に流れを見ることができていれば、流れの重なるポイントも見逃すことなく発見できる。そしてその時、自分に肝心のエネルギーがあれば自然と何だって出来るものである。


しかしこういう流れというものは、宇宙規模であるから、自分にできることは流れを通しやすい伝導体のようになるしかないと思う。変に力んで自分の音だとか、世界にこだわる必要などない。そこに在るものを、ただ通せばよいのだ。雷は、電気を通しやすい避雷針に向かって落ちるのだ。そして土に流す。つまり通しやすい状態、避雷針になることができていれば、自然とあちらからやって来てくれる。


そして、確かな流れの中に居るときは自然とそれが実感できる。どういうわけか、世界は案外うまく回っている。
そういう時に空を見ると、満月だったりする。


5.20

《友人であるbreath markこと、ニ羽高次さんから聞きました。今月5月の満月は、一年で最も月と地球の距離が近かったそうです。とても嬉しそうにその事を私に教えてくれました。》

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