心の自動現象に場所を与えよ!

素晴らしいなぁと私が心から感動できた人たちは皆、まずものすごく考えている。考えて考えて、そしてその考えに縛られない道を模索している。なにも考えないで、いざ、からっぽになる…なんて無理な話だ。考えあぐねて考えあぐねて、いざ、それが全部自分の外に出て、からっぽになる。発見したり、考えぬいてきた事が自分の外に出て、からっぽの自分を支えている。だから自由になれる。


それとそういう人は知識量も半端じゃない。まるで空腹な人がご飯にがっつくように、音楽、本、映画、媒体に関係なくあさり廻ってます。それでいて知識に縛られない。

「表現は感性だから、天然で。」などとわけの分からない考え方、そんなとんでもない美学は一体どこから飛来してきたのだろうか?もちろん天然で、ある程度の所までは行ける。でもそれまで。『うわぁ凄いなーっ!』と心から感動した人の中に、そんな人は本当に一人も居なかった。皆、凄くストイック。


それと他に、素晴らしい人が共通して持っているのは、ユーモアだと思う。優れた映画監督は皆、優れた喜劇作家だと思うし、素敵な音楽家は皆、ユーモアの虜であると思う。

他にも幾つかあるけれど、今は、"頭を使うこと"、"考えること"について…。

素晴らしい人は皆、確かに凄く考えているが、ここで心得ておかねばならないことがあると思う。
どれだけ頭が働いても、結局そこには何もないということ。頭を使った、その先へ心が動いて、そこに何か生き生きとしたものがある。生きた心がある。感動はそこにしかないということ。


だから頭を使うのは、心のため。自分の心を動かすためでないとならない。外から見たときの新しさや、企画、角度、そこばかりに頭を使って、結局心が動かない。心のために頭を使ってない。それでは面白そうな事はできても、面白い事はいつまでたってもできないと思う。そういう落とし穴に、現代と名のつくものはハマりやすい気がする。でも当然、新しさを考えるのは自然な事だし、企画や角度を考えるのは、もの凄く重要なことである。ただ常にそれは、"その先のために"、その先へ自分の心を動かすためでなければならないと思う。


その辺に注意した方がよい。私もその辺のことを分かってなかった。頭を使うのは、心を動かすため。
心の動いていく先にあらかじめ、"スペース"を与えてやるためである。

3.3

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