メモリーム・メモリーズ

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                                  写真|白井晴幸

EYヨ(BOREDOMS)とのコラボレーション舞台「メモリーム」を2015年12月13日、神奈川県立相模湖交流センターの多目的ホールにて開催。舞台上に設置した大きな水槽に、大量の水を循環させながら展開する本作は、予定調和の外側の出来事が多発する実にスリリングな現場であった。そして、EYヨさんとの共同制作そのものも、水のように流動的で型に収まらないスリリングな交流である。

実は僕がEYヨさんの事を知ったのは約10年ほど前のこと。たまたまだった。 たまたま引っ越したアパートの隣にスタジオがあって、近いからそこでバイトを始め、そのスタジオをBOREDOMSが利用していたのだった。それから10年経って、こうしてEYヨさんと一緒に仕事をさせていただく機会を与えられ、感慨深くもある。

この舞台「メモリーム」を作っていった経緯や意図について、わざわざ書き記すつもりはない。 それは僕とEYヨさんの間にあればいいし、観たオーディエンス一人一人の中に、各々違った形であればいいように思う。ここではあくまで僕の個人的な体験として、味わった多くの出来事の中から一つ二つだけ抽出して書き記しておこうと思う。

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今回、作品の主役として〈水〉を使うということもあり、あるとき兵庫の山奥にEYヨさんと二人で温泉に入りに行った。実際に皮膚で水の感触を確かめながら話し合おうと。二時間半くらいかな…、お湯に入ってた時間…。もう指先とかシワシワでね、温泉に入ってた時間としては間違いなく最長記録。そのとき何を話しただろう?と思い返してみると、不思議なことに何も思い出せない。EYヨさんとは事あるごとに色んな話をしてきたけど、大概面白い事になるのでわりと覚えているんだが、この温泉の中で話したことはまるで思い出せない。のぼせてたからでしょ?と思われるだろうが、僕はそうじゃない気がしてる。「水に流す」って言葉があるけど、たぶん、水は、本当に流れる。あのときEYヨさんと話した内容は、あそこの水のメモリーになって、どこかに流れていったんじゃないかと思っている。

アーティストが、この世界に対して過敏症的に生き、感じとったことを自らの表現や行為に昇華するときに、注意すべきことというか、注意せざるをえないこととして、作為というものがあるかと思う。作為がなければモノは作れないが、作為でまとまったモノはつまらないわけで、そのあたりの闘いというのはいつの時代も、アーティストたちは苦心し続けていることと思う。そういえば、EYヨさんと僕と増子真二さん(メモリームのテクニカル担当)の三人で話していたときに、昔録音したある海のフィールド・レコーディングがマジでヤバい、という話になった。波の音がすごいんだけど、何がすごいかって不意打ちがすごい。何度聴いても、必ず裏切ってくれる、と。

最後に、上の話とも通じるが〈予定調和を避けたい〉ということが今回僕とEYヨさんの間で大事にしていた一つのテーマであり、その点は私たちとしても望んだ通り、思うようにならない水に翻弄されながら楽しむことができたと思いますが、それにしても予定調和を避けすぎた結果、開場時間が過ぎても準備が終わらず、長い時間、皆様をお待たせさせてしまいました。この場を借りて、ごめんなさい。
2016.02.05

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