わからない

ぼくはわからないことをやり続けている。わからないから続けられるのかもしれない。
自分はとりあえず音楽という方法でやっているが、これは他でも同じで、何かを表現しようとする行為の上に普遍的な正解や答えのようなものは、まず無いように思える。答えらしきものはあるかもしれないが、それは答えらしきものであって、答えではない。そもそも答えを知りたいわけでもない。

ただやるからにはそこに向かって成長したり、挑戦したり、を、続けたいわけだ。答えは常にその先にあるようなフリをして、そこにたどり着いたころにはそこには何もなく、またその先に答えは立っているフリをする。

そうこうしているうちに、肝心なことは答えではなく、ここにあると気がつく。だが、それは止まると消えてしまうものだ。答えらしきものに向かって進み続けているときに限り、それは現れる。

たまに、そういうことのすべてが嫌になったり、猛烈な孤独感に襲われたりもするが、人間は忘れることができるせいだろうか、すぐにまた歩こうと思う。歩いていれば、やってて良かったと思えることもある。そうは思えないときもある。

ただ、音楽をやっているその瞬間だけは何も考えてない。そういうことのすべてから切り離された別次元の現象がそこにはある。だから音楽家にとっては、音楽そのものが救いなのだろうと思ったりもする。


ねこ風呂場にて

2015年3月
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